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ICUシンドロームと言う言葉をご存じでしょうか??その4闘病記④

気管挿管がいよい抜菅されました。
私はお恥ずかしいことに知識がなくて・・・
抜菅すればすぐ会話もできて、水を飲むことも可能だと甘く考えていました。
でも実際は、そんなに甘くはなかったのです。

飲水テストでは、まず舌下に5CCをシリンジでたらしました。5CCの水は難なくクリアしましたが。。。
次は20CCの水。
たったの20CCの水にむせてしまい、飲水テストは終了。
結局、水分に関しては、とろみをつけての飲水許可となりました。
そのとろみをつけた緑茶・ほうじ茶がまずいことまずいこと。
片栗粉のような感じで、みんな口の周りにくっついてしまうんですよ。。。涙

食事に関しては、ゼリーから始まりましたが、その前に口腔内をきれいにするという処置や、痰の吸引があり・・・
そして口の運動を言語聴覚士の方をまねしながらしました。
ゼリーを食べるときも、必ず昼食の時間帯に来て飲みこみ状態を見てくださいました。
最初は一口のゼリーを食べるのも、とても勇気がいりました。
「脳というのは、飲みこんでいた・・・という記憶は記憶しているものなので、その記憶を呼び起こしなさい。」と言われました。
理学療法士の方にも、「歩いていたことを脳が記憶しているから。。。」と言われました。
何日かの訓練を経て、小さなブドウのゼリーを完食できるようになりました。
それでも、私の誤嚥への恐怖心は強くて・・・なかなか食べるという行為に関しては進んでいきませんでした。
しかも、朝はブドウゼリー・昼はピーチゼリー・夜はアップルゼリーと1日中来る日も来る日もゼリー地獄が続きました。しかもこのゼリーは、やたら甘くて、果汁も8パーセント入り位のもの。
お願いだから甘みを抑えて、果肉をいれてくれ~!!と思いました。
ゼリー地獄に耐えかねて、1週間後に「ヨーグルトはダメでしょうか??」と言語聴覚士の方にお聞きしました。
「ヨーグルトの方が粘度が低くて、口の周りに広がるので今のハトコさんには無理かもしれませんね~。」と言われました。 
が、先生は翌日のお昼にヨーグルトを持参して下さいました。
先生のおっしゃる通り、ヨーグルトは口中に広がってしまって、ますます飲みこみを悪くしました。

そのうち、私は誤嚥性の肺炎で38℃の熱を出すようになります。
主治医に『今の時期ではインフルエンザでは??』とお聞きしましたが、
『誤嚥性の肺炎です。』と言われました。
このころ、ちょうどとんでもない高齢者の女性がCCUに入院してきました。
声はアヒルのようなガッガとした声で、一晩中「体勢が悪いから変えてくれ~。」と何度看護師さんを呼ぶのかわかりません。
とにかく、昼間はがーがー寝ていてたたき起こしても起きずに、夕方から活動が活発になりました。
「おなかがすいて死にそうだ~ここは、おやつも出ないんだね~。○○の里はおやつが出たのにね~。」とか
「今日は、夕飯は出ないのかい??出ないんだったらお茶でおなか一杯にしてやる~。」とか言って騒ぎ出す始末。
看護師さんが「お食事の指示は主治医の先生が出すものだから、私たち看護師には決められないの。明日になったら先生に聞いてみようね~。飲水制限があるからお茶もそんなにたくさんは飲めないんだよ~。」と毎晩その繰り返し。
特に体勢変換がひどくて、「右に変えて左に変えて。」と1時間もしないうちに看護師さんを呼び出す始末。
私の息子だったらどんなに良かったかなあ~と思っていた看護師さんがいたんだけど、さすがにこの穏やかな看護師さんも『○○さん~もう勘弁してくださいよ。これ以上ご希望には添えません!!』と言い残してCCUを退室していかれました。

私は、この高齢女性の毎晩のこの繰り返しと、ゼリーも食べられずに声もだせない&体も動かせない!!
と何重にも重なった苦痛についに精神も崩壊してしまいました。
来る日も来る日も、私は「あの窓から飛び降りたらこの苦痛から解放されるだろう~!!どうやったら窓まで行き着くことができるのか。」そんなことだけを考えるようになっていました。
これがまさにICUシンドローム。ICU精神病(うつ病)でした。
それでも、まだ私は、看護師さんにそのことを伝えられないでいました。
このころ、1日おきに来てくれていた主人に
「パパ~私思うんだけど・・・3週間以上もここに居ていまだに動けない。食べられない。。。
おそらく前のように、元気に家事をすることは不可能だと思うの。
きっとなにかしらの障害が残ると思う。」と言うと。
「僕もここに2週間居るあたりから、そんなことを思っていたよ。
でも、家事ができなくたっていいよ~。元通りに動けなくたっていいよ。
とにかく家に帰ってきて、リビングに座っていてほしい。それだけで十分だから。。。」と言われました。

そうこうしているうちに、私の右下肢の膝から下に血流がいかなくなる・・・という動脈塞栓症という合併症が起きます。
今考えても、血管型ベーチェット病に起因したものなのか・・・はたまた心臓の血栓除去により生じたものなのか、大動脈バルーンパンピング装置によるものなのか・・・よく理解できていません。
主人はこの時にも主治医に呼び出されて、「すぐに手術したいのですが、体も衰弱しているし栄養状態もとても悪いので手術に耐えられるかどうかわからないので、少し様子を診させてください。」とおっしゃったそうです。
が12月18日の晩、突然私は手術室に運ばれます。
右下肢鼠蹊部からカテーテルをいれて、血栓を書きだすように上へ下へとかき出す手術が始まりました。
この時も、局所麻酔でしたが・・・ホルター心電図をいれる手術の時にやっと気づくのですが・・・私は麻酔が効きにくい体質のよう。
手術室の看護師さんがずーっと手を握って下さっていたのですが・・・とにかく痛くて痛くて、手術中ずーっと痛い~痛いと叫んでいました。私が「痛い~!!」を連呼するたびに、局所麻酔が追加されていったようです。
CCUに帰り輸血を2本したのを覚えていたので「相当の出血量だったんだなあ~。」というのは予測がつきました。
手術後も、痛みは消えることなく約1週間位鎮痛剤のお世話に。
痛い~痛い~というたびに、鎮痛剤も追加投与されて、私はついに胃潰瘍に。
主治医によく聞くとなんと私の大嫌いなロキソニンを投与していた~って言うじゃない。プンプン
もうここにいるとロク なことが起きない!!
クリスマスが終わるころ、私は夜勤の看護師さんに「私が神経質だからこんなことを考えるのかもしれないのだけど・・・ここにいると発狂しそう!!1日もはやくここから出してほしいの。」と伝えました。
声は少しずつ出るようになっていたものの、ガラガラ声の小さな声でしたが、看護師さんはこの言葉をきちんと読み取って下さいました。
「ハトコさんが神経質だからじゃないんですよ。ICUシンドロームって言ってね。。。ここに居るとすたすた歩いて入院してきた高齢者の方も、3日居ると一歩も歩けなくなくなって夜間せん妄もでるようになってしまうのよ。私もここにこれ以上ずーっといるのは良くないと思うから・・・主治医の先生に相談して、何とか一日でも早くだしてもらうようにしよう~。」と。
このころ、丁度、理学療法士の方にも「ここにずーっと居ることは良くないと思う。一日もはやく一般病棟に移ることを考えよう~!!」と言われていました。
ryuさんという方でしたが、この方は私が熟睡??状態にあるときから私のリハビリをしていた方です。
この時点では、何とか抱きかかえるようにして車いすに座らせてもらっていましたが・・・何から何までお世話になった方です。
私は、熟睡状態にあるときからリハビリを受けていたなんてしらなくて・・・
あるとき、ryuさんが最初の頃は寒い~寒い~。って言っていたのに、今はなんでそんなに暑いの~??」と聞かれるので
「先生なんで私の熟睡状態の時のこと覚えていらっしゃるの??」とお聞きすると
「今は寝ている時からでも、リハビリは始まっているのよ。」と言われて愕然としました。
こんなやりとりは心電図の検査技師の方との間でもありました。
「ハトコさん~会うたびに元気になっていて。私も嬉しいわ~♪」とあるとき言われました。
「私をご存じですか??」とお聞きすると
「CCUで意識のないときに、何回も心電図をとりに病室に伺っていますよ。」と言われました。

自分には記憶はなくても相手は私を知っていることもあるのです。不用意な発言は避けなくては・・・と思いました(笑)

またこのころ、いつまで経っても栄養状態が悪くゼリーの飲みこみが悪い私に、言語聴覚士の先生が何かなやんでいらっしゃる様子が伝わってきました。
CCUに居る時には、精神的にも変になっていてお聞きする勇気がなかったのですが・・・
2,019年1月5日に一般病棟の個室に移ってから、勇気を出してお聞きしてみました。
「先生~一時随分私の事で思い悩んでいらっしゃった時がありましたよね~。あの時は何を考えていらっしゃったんですか??」
「よくわかりましたね~。実は、栄養状態が非常に悪かったので、胃ろうにした方がいいのか・・・その判断をとても悩んでいました。胃ろうという選択。そして若いハトコさんに胃ろうの話をいつ切り出したらいいのか??
随分悩んでいた時がありました。」とおっしゃいました。
「そうだったんですね。。。」
先生が何をそんなに悩んでいたのかわかることができて良かったなあ~と思いました。

今日はここまでにします。


by mihi_liebe | 2019-05-11 22:47 | 健康 | Comments(0)